塔の見える風景

いつもご来店いただき誠にありがとうございます。

ご存じの方も徐々に増えてきているとは思いますが、
「野幌森林公園」内のランドマーク的存在として長い間親しまれてきた
「北海道百年記念塔」の解体工事が本格化しています。
いつも塔を見ることができる近隣の住民にとっては地域の象徴とも言える存在であり、
現に校歌の歌詞の中に記念塔が登場する学校は、小学校~高校まで合わせると16校にも及ぶそうです。

私と記念塔との出会いは、小学校の修学旅行だったと記憶している。
記念塔のある北海道開拓記念館(現在の北海道博物館)は、
修学旅行や社会見学、遠足などに必ずと言って良いほど行先の一つとして盛り込まれている為、
道民なら一度は訪れたことのあるスポットのひとつと言っても過言ではないだろう。
当時、子供ながらに「かっこいい塔だなぁ。」と見上げて、展望台まではしゃいで登った記憶が今でも残っている。
子供心に感じていたカッコ良さは大人になってからも
「何て洗練されたかっこいいデザインなんだろう。」と、今も何ら変わることはない。


旭川出身の私は、JRで、もしくは車で札幌方面へ向かう時、
車窓に記念塔が見えてくると、「あぁ、札幌に着いたんだな。」と、
なぜかいつもホッとするような気持ちになっていたのを覚えている。
私にとって「札幌方面=記念塔」のようなイメージで、
当時塔の見える風景に漠然とした憧れのようなものを抱いていたのかもしれない。

その後、縁あって札幌に住むこととなり、また程なくしてマイホームを建てる際も
なぜか自然と記念塔が見える、もしくはすぐに見に行くことができる場所を中心に土地を探している自分がいた。
現在、私が住む家は、直接塔を望むことができないものの、
5分も車を走らせればすぐに記念塔を見に行くことができる場所にある。
住み始めてから15年、買い物や用事で車を走らせる時、
無意識に塔の見える風景を探す習慣がすっかり身についてしまっている。

なぜこんなにもこの塔が私を惹きつけてやまないのか考えたこともなかったのだけれど、
その理由が最近になってようやくわかった。
それは、この塔が数式を駆使して設計された緻密で精緻な建築物だと知ったからだ。
どうやら人間が、かっこいいとか美しいと感じるのには、きちんとした理由があるのだと妙に納得した。
建築から約半世紀が経つにも関わらず、全く古さを感じさせず、今も斬新で美しいという印象は変わらない。

決して華やかさや派手さはないのだが、大地に凛と構えてしっかりと根を張っている。
そして、天に向かって無限に伸び上がっていくような様。
力強さだけではなく、どこか静かに見守っているような優しさも感じさせる佇まい。

この記念塔が日常の風景に溶け込み、愛着を感じていたであろう近隣の住民だけでなく
建築、芸術、土木など各分野の専門家らがこの塔の持つ価値の高さを訴え、
何とか存続できないかと強く働きかけてきた人たちがたくさんいるということも知っている。
解体差し止めの裁判がクラウドファンディングを成立させて行われていたこともごく最近のことだ。
それでも、その声は行政側にも司法の側にも届かなかった。
維持管理ができなくなるほどの費用がどうしてそんなにもかかるのか
その内容や内訳がわかる資料の情報開示請求に、多くの箇所が黒く塗りつぶされた資料しか出されなかった
本当の理由はわからない。


厳しい自然の中で、大地を切り開き現在の北海道を作り上げてきた先人(アイヌの人々も含め)たちへの
感謝と慰霊の気持ちも込められた塔を
何のセレモニー的なものも行わずにガシガシと壊してしまうことに身震いするような恐怖さえ感じる。

横付けされた巨大なクレーンで、どんどん壊されていく様を、
わが身を引き裂かれるような思いで見つめるしかもうすべはないのだろうか。
とても心が痛い。今はこれ以外の言葉が見つからない。
たくさんの人が今も名残惜しむように訪れている。
中には泣きながら校歌を歌っていた人、何度も何度も振り返りながら見つめていた人がいたとも聞いた。

今は消えていく大好きだった塔の見える風景に、さよならの言葉さえかけられずにいる。

2023年03月31日